お茶の声が聴こえるか

表紙の裏側

このエントリーは
あなたの為に綴られた手紙ではありません。

このエントリーは
あなたを心地よい気分には致しません。

このエントリーはメモ帳でした。

 

通常、文章を書くという行為は
それを読む誰かを想定して行うものだ。


メモを取ることとノートを取ることの違いは正にここにあって、メモはただ己の内に湧き上がった混沌を何の手も加えずに具現化させたものである。対して、ノートは散らばった情報を分析・分別し、それを読むだけで当時の感覚が共有されて再体験されるよう記されたものを指す。

 

メモは
誰かが読むことを想定されていない。

 

つまりメモは読み返す為にあるというよりも、書く瞬間にこそ最も意味のある行動だと言える。漠然としていた思考を、メモとして形にする過程でそこに秩序が生まれていく。生まれた秩序が具現化されたものこそがノートであり、実際に読み返すのはメモよりもむしろノートだ。

 

 

メモという存在は、誕生した瞬間にその使命を終える。

 


文章を書く為に生み出され、反芻されることもなく死を迎えるあまりに儚い産業廃棄物だ。

 

文書校正をせずにただ書きたいこと、ただ言いたいことを叫ぶだけの行為は正にメモを書くことと同じ構造を持っている。どこまでいっても本人の為でしかなく、誰も立ち入る隙間のない領域。それを晒したって、孤独。

 

 

 

そうと分かっていても僕はこのどうしようもなく意味もなく、そして愛おしいメモをゴミ箱に放り込む気になれないんだ。

 

僕のために生まれてくれたこのメモが、
せめて成仏できますように
何らか一つ生まれた意義を見出せるように


このノートの1ページ目として
書き残したいと思う。