お茶の声が聴こえるか

今日が雨でよかった。

とても嫌なことがあった日にくらい、雨が降っていたらいいと思う。ああ、ツいてなかったな、泣きっ面にハチだな、って思えたらいいなと思う。そうでなきゃ、きっと誰のせいにもできないままに涙も流せやしないんだ。

 

昔から雨が大嫌いだった。

 

雨の日は勝手に学校を休んだし、傘を持ち歩かないポリシー(なんの得があるのか)もあった。雨の日には身体がなんだか重たいし、頭もちっとも働かない。急に地球の重力が10倍になったから空から雨も降ってきよったんだわな。

嫌なことがあった日の記憶は、いつも雨と共にある。

3年間のすべてをかけた部活動で、最後の夏に初戦敗退したあの日。就職活動で決定的に失敗したあの日。約束に間に合わなくて、全てが手遅れになったあの日とあの日とあの日。別れ話の後はいつも雨が降っていた。

 

でも、その雨が自分を救ってくれてたのだとも今は感じている。

 

同時に、この雨がどこかで誰かを救っているのだとも気がついた。珈琲と本越しに眺める窓際の雨が、どこか優しく感ぜられるのもきっとそういうことだ。調子良く目標へと突き進む人には厄介者の雨も、これ以上は一歩だって進めない怪我人には敗北を癒す薬になる。僕らが雨を愛してしまう理由がきっとそこにある。

 

土砂降りに俯いてトボトボと歩く少年がいた。傘を差してあげたかったけれど、そうしなかった。でも、それでよかったのかもしれない。必要な時に、必要な人から傘を差してもらえるよう祈る。