お茶の声が聴こえるか

自家焙煎と加齢

僕は珈琲が大好き

味がソムリエのようによくわかるとか、淹れるのがとっても上手とか、豆の種類に詳しいとか、そういことは特にない。

けど、珈琲豆をミルの高速で回る刃で粉にする、あの何か始まりそうな予感、フィルターの角を折ってから広がるあの一手間、そのフィルターに詰めた珈琲を水平に慣らして中央を窪ませるちょっとした繊細や、蒸らしのためにほんの少しだけ振りかけた湯気にまだか今かと待ちかねる、あの時間。あの時間が僕は好きだ。毎日1L近く珈琲を消費している。日本では1日あたり1トンちょっと飲まれている珈琲、僕はそのうちの0.1%。

 

そんな珈琲好きが高じて、遂に自家焙煎に手を出してしまった。珈琲は生まれた時からあの艶々とした黒々な宝石ではなくて、元々は乳白色に濁った石のような見た目をしている。人が産まれたころから髪や髭を蓄えてがっしりとはしていないように、珈琲豆もまた赤ん坊の頃がある。

 

これを温めて焦げないように忙しなく鍋を振りながらじっくりと炎で炙ると見慣れたあの黒曜石のような黒に染まっていく。焙煎するうちにパチパチという音を合図に"1ハゼ"が始まって、より濃い色へ、そしておしまいの合図"2ハゼ"と共に馴染みのある黒へと変わっていった。徐々に酸味が消えて、甘みと芳醇な苦味を蓄えていく、シティローストだ。

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今回はコロンビア産の豆を使った。一番有名なコロンビア産の豆は、例えばエメラルドマウンテン。こいつはコロンビアで採れるブランド豆で、豊かな甘みと果実味、柔らかな苦味が特徴的な、いわゆる美味しい珈琲豆なのだけど、とにかく高級。500gで3000円とかする。それが生豆から自分で作ると、1kg2000円なんかで買えるのだから焙煎という工程の価値がよくわかる。

 

自分で焙煎した珈琲は偶然にもとても美味しく仕上がった。コロンビア産特有の甘くて、柔らかな酸味と苦味、それにフルーツの香り。味が少しずつ変わっていく様子も面白くて、これはやりがいがあるぞ。しかも、焙煎してから3日経ったくらいが一般的に「煎りたて」と言われるゴールデンタイムらしくて、物事が落ち着くのには若干のラグがあるものだなあと感じる。

 

 

さて、実は人間にも"ハゼ"がある。

どうやら、歳を重ねていくうちに人間は急速に老化が進む年齢があることがわかった。それは34歳、60歳、78歳なのだけれど、この年齢を境に体内のタンパク質組成がガラッと変わるらしい。つまり、別の存在へと置き換わるということ。

俗に、30歳(みそじ)はある一つのタームと言われていて、現代ではこの年齢から一人前と見なされるところがあるけれど、肉体的な話をすれば34歳から人間の"味"が出てくるということになる。

そして、60歳で人間の味は完成する。

78歳になると、完熟な状態……人生のゴールが見えてくる。焙煎と考えてみれば、この年齢まで焦がさず、事故に遭わず大病もせず走り抜けることで到達できる境地。25歳になる僕は、まず34歳までよく動いて焦がされずに味を深めていかなければならない。甘くてまろやかな34歳。

34歳までの僕は、酸っぱすぎて飲めたもんじゃないんだから。