お茶の声が聴こえるか

人間は沢山の穴を纏っている

大量にかけられた洋服を、下から覗き込んでみる。同じ数だけの穴がある。いや、四肢と体幹を通す穴で、かかっている洋服の3倍は穴がある。

人間は、沢山の穴を纏って生きている。

その穴は元々からあった穴ではない。人が生きるために生み出された、あるいは穿たれた穴。古代の人類は土や岩に穴を掘って、住居とした。人は自分以外の何かに穴を空けることで快適に暮らしている。

 

こんな見方もできる。

人間は大気中の空気にも、自分の身体の形をした穴を作って生きている。例えば、今この瞬間に僕が何らかの理由で存在ごと消滅したとすれば、僕がいたその空間はカラッポになって穴になる。真空というヤツだ。でも、大気からしたら何が入ってようとも、彼以外の何者かが彼に穴を開けて、中を埋めているようなもの。

閑話休題 

要するに、人間は他の何かに穴を空けなければ生きてはいけない。しかも、多くの人々はその空けた穴について自慢げに見せびらかしている。その穴を纏うことで着飾っている。きっと、そのことについて思い悩む必要はないけれど、自分が穴を空けてしまった人たちのことを思い出すことは、忘れてはいけない…ような気がする。

そして、同時に。

空けてしまった穴があるなら、自らでその空けた穴を埋めることも大事なことだと思うのだ。そうでなければ、せっかく生み出されたお洋服という穴も浮かばれないことだろう。生きる以上、穴を空けるのは避け難い。そうであれば、どれだけの穴を自分自身の生命を使って埋め合わせていくのかが、人生かもしれない。

近代の人類は掘った穴に、死体を埋めることで新たな生を与えようとした。人生の始まりで空けた穴を、人生の終わりでは埋めることになる。そうすることで、また新たな穴を空けることができるのだから。

 

あけましておめでとうございます。