お茶の声が聴こえるか

不倫と青い春

不倫している大人を見ると、不意に電車でイチャつく横顔に高校生を思い浮かべる。

 

 

実に嬉しそうで、幸せそうで、鼻の先が伸びた顔。必要以上にタッチが多くて、マスク越しにキスをしていて、視線と視線がまるで愛撫なあの2人。

 

 

不倫してる。

 

 

見ればわかる。

守るものの無い、甘えた顔をしている。失えないナニカを抱えた猛者とは異なる、焦点の定まらないほどけたジャガイモのような眼をしている。

想い人との情事を、人様に曝け出せるそのガードの緩さはまともな相手のいるそれとは明からさまに違っている。本質的には、今その乳繰り合う女か、男か、その相手が自分の運命の相手ではないことを悟っている。明後日には素知らぬ顔で歩いている未来を思い描いている。許される恋ではないと知っている。どうせ上手くいかないだろう、と信じている。他人に認められることも、親に知らせることも、自分から許されることもないと知っている。私たちには明日がないと、本気で信じている。

 

 

その儚さを貪るように、赤の他人である不倫相手の唇を舐め回している。

 

 

 

寂しさの現れなのだと思う。

自分が本気で好きだと感じるその相手が、誰からも、自分からでさえ認められることなく、未来がないと確信されている。その現実があまりにも辛いのだとわかる。だから、朝日が登るその前に、せめて逃さないように抱きしめて、忘れないように見つめあっているのだと思う。

 

とても悲しいことだ。