お茶の声が聴こえるか

変身願望

人は皆、なんらかの変身願望をもって消費を行う。

 

例えば、洋服を買うこと、化粧をすること、あるいは家を買うこと。

中でも、僕は髪を切ることに重きを置いてきた。美容院に行きさえすれば今までの鬱屈した取り柄のない液体のような自分を切り落として、洗練された個体の私が手に入るように思えた。

美容師との刹那的なコミュニケーションもよい。自分の知らない情報の共有、ここのところの近況報告をする時間は、さながらに同窓会のそれだ。

 

けれども、いつ頃からか「次の髪型」への欲望が枯渇した。なりたい髪型も、なりたくない髪型もない。どんな髪でも自分はうまくやっていけるし、姿が変わったくらいでなにも変わらないような気さえしてきた。その穴を埋めるようにして、あてもなく美容室の予約をしては彼を困らせ、ただ漫然と悩みのタネを切り落とすのであった。

 

思えば、変身というのは子供の特権である。古くから男の子は3日もあれば別の生き物へ変わるとも言われ、事実として我々がぼんやり過ごした一年間で身長も15センチは伸びる。私の身長が1年で15センチも伸びてしまったらそりゃあもう一大事だ、4年もあればギネス記録を塗り替えてしまう。ていうか、そんなSF並みの身長を誇ったロバートワドローって何者なんだ。そっちの方が気になる。

 

ウルトラマンも、戦隊ヒーローも、おジャ魔女も、プリキュアも、みんな変身する。今時は男の子も男の娘とかいうやつに変身する時代だ。もうこんな時代は終わりだ。

 

子供と変身の親和性が高いのは、目に見えて自身が変化することに由来する未来への可能性だろう。いわば魔法少女たちは、未来への可能性という信用を担保にしていかにも燃費の悪そうな変身を繰り返しているのではないか。妙齢の女性が変身できないのは、盛りの男がヒーローになれないのは、その見えざる資産を失ったからではないか。

 

閑話休題。変化の少なくなる、青年期以降の私が変身とうまくやっていけなくなるのも、無理のない話であったのだ。一晩過ごすごとに姿が変わり意見が変わるような成人男性はかえって信用を失うことだろう。先ほどの論理からいけば信用を失えばなおさらに変身はできない。変身デフレスパイラルがここに生まれた。

 

なら、私たちは何を担保に変身すればいいのだろう。この鬱屈とした気持ちも、代わり映えしない日々も、どうすればゲームボーイカラーからゲームボーイアドバンスに進化したような変化を得られるだろう。それじゃあ、あんまり変わんないか。プレステからプレステ2くらいの変身が欲しいんだよ俺は。ったく。

 

ところで、繰り返し変身について羨望の持論を開陳してきたが、必ずしも変身はよいものとも限らない。むしろ、その最も代表的な例としてはおどろおどろしい世界が横たわっていることを忘れるよしもない。そう、目が覚めたら人間から昆虫へと姿形が変わっていた、カフカの変身である。

 

ここにきてようやく、変身の定義が見えてきた。つまりこうだ。

"(良くも悪くも)期待を裏切って、異形へ変容する様子"

 

従って、先述した子供と変身の親和性というのは子供視点の話であり、親からすれば大きくなっていく我が子が変身したとは思わない。ただ成長しただけ、なのである。

 

どうやら、私たちは勘違いしていたのではないか。

私たちが変身願望だと錯覚していたそれは、実のところで成長願望の歪んだ姿だったのではないだろうか。成長に付随しがちな「(その人にとっての)好意的な変化」を強要される風潮への天邪鬼から無謀な転身を繰り返しているのではないか。

 

誰しもが、他人の望んだ自分だなんて空っぽの指輪ケースにはなりたくない。自分で考えて、自分で決めた、中身のある、それでいて誰かに愛される自分になってみたいと思う……のだと思う。

そしてそのことは、成長願望と矛盾しない。

 

僕は、僕も「成長」という言葉が嫌いだ。誰かの良しとする自分になんてなりたくない。いいところだけ啄まれて、利用されて、搾取されて、摘み取られるのは嫌だ。

 

けれど、親が子に願う成長とは本当にそのようなものだったか。

大きく育って、健やかで、もう一つの命として完成していくことを期待する営み、これは支払った代価に対して納得するのに必要な報酬だと思う。

 

そうだった。父さんも、かあさんも、そして僕も、ただ納得したかったんだ。対価を払って、自分で納得できる自分になりたかった。自分で納得できるあなたになって欲しかった。ただそれだけだった。ただそれだけのことを成長と呼んだ。

 

だったら、今とまるっきり生活を変えることも、姿を変えることも、思想を変えることも、ナンセンスだろう。ただこのままで、時々なにかを拾ったり、そのぶんなにかを手放したり、それを繰り返して少しでも「納得の自分」に近づいていくだけなんだな、って今は思う。

 

しばらくは髪を伸ばして、もたついたところは切り捨てて、もしかしたら刈り上げてゼロに戻して、そうやって自動車のクラッチを合わせるように進んでいくんだ。