お茶の声が聴こえるか

君の心臓はいくつある?

毎日毎日、明確に「これを食べたい!」と思えるワケでもない。食べたいけれど何らか事情で食べれないのならまだしも、何も食べたくない。

 

普段は好きなものを食べるために頑張れる。美味しいものを食べて、思わず「わっ、美味しい…」なんて小声で漏らして幸せを噛みしめて、また明日から生きていく。好きに命を救われて生き延びていく。

 

 


けれど、どうしようもなくなにもかもが嫌になった時、私たちはどうすれば良いのだろう。好きなものさえ受け入れられない時、どうすればいいだろう。

 

そういう時は、とりあえず買い物に出かける。素敵なもの、安いもの、健康的なもの…良さそうなものをカゴに入れていく。

 

 

実際に食べるのはその中から作れるものだ。必ずしも、好きなものを食べるワケではない。

 

 

だからこそ普段から食べられるものを探して、作れるように訓練して、好きになっておく必要があるのだろう。

 


私たちを生かしてくれているのは、好きなものじゃあない。

 


好きとか嫌いとかを超越して、飼いならしたものでのみ私たちは生きていける。好きだけじゃダメで、もっともっと深くまで、それが憎くなるまで掘ってようやくそれは私たちの命になるのだろう。

 

だから、探しにいこう。
だから、備えよう。

 

追いつかれて両足を飲み込まれて生きていかれなくなるその前に、好きを見つけて、命になるまで玉になるまで研きをかけておこう。