欲望の灯
煙草が美味しく感じるようになった。
始めた頃はただ燻臭いだけで何がいいのか分からなかった。ただ煙を身体にためて肺を真っ黒にする自傷的な行為に浸りたいだけだったのかと思う。僕が喫煙を始めたのは5/31、世界禁煙デーだった。遅めの反抗期である。
次に、煙臭さそのものが良いような気もしてきた。これはやはり自傷の延長線上にあるもので、アルコールを摂取した時の酩酊感に似ていた。心地よいワケではないのに、なんとなくふわふわ浮遊した感じがして、地に足ついた現実から離れ自分の部屋という小さな小宇宙でひとりぼっちになれた気がした。
そして、遂に燻臭さが消えた。
ただ純粋に、草それぞれの味がわかるようになった。ミルクのようにまったりした感じ、バニラのような甘み、生命の青臭さ、それに乾いた風の匂い。
鼻が麻痺したのだと思う。
舌が痺れているのだと思う。
喉が声もなく悲鳴をあげた。
それでも、いいかな、なんて。
煙草はよくない とか 性に溺れるのもよくない とか 食べ過ぎはだめ とか、人生には「だめ」なことが沢山あって、それらは生命を突き刺すとされていて。
でも、そういった刺繍の後が人間そのものじゃないか、とも思うのだ。
苦しくならない恋なんてきっと恋じゃなくて、食べすぎたくなるほど美味しいものを食べたくて、そしてだめだからこそそれらは美味しい。
背徳の為に生きているんだよ。
「生きること」の終着駅はいつだって"死"のみが待ち受けている。なんのために生まれたか、なんて死ぬために生まれてきている。あとはせいぜい、子供を作っておしまい。
それでいいのか
いいワケないだろう。
人生の道途に懶げとして横たわる"死"への叛逆は、反抗は、犯行しかない。「だめ」とされること以外で傷を残すことなんてできやしない。
例えその行為が死神との舞踏だったとして、いいじゃない。仲良くしようよ。
だからお願い
欲望をとめないで。
絶やさないで、その赤を。